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虹のうたから届いたもの

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2016年 01月 14日

電気も水道もない山暮らし9年 ~カリフォルニアの山の中 出産&子育て~②


① から続き

28歳の時、東京のアパートで わたしはある日 本気で宇宙に問いかけをして祈ったの。

「好きな音楽をしたくて、生活のお金を稼いでいると疲れ果ててしまう。こんな自分が好きになれない。
 朝から晩まで自分らしくて いのちとやる気のみなぎる暮らしをしたい。
 どうしたらいいか、はっきりわかれば、その道を歩きたい。タイミングが来たら、はっきりと示してください。必ず その道を歩きます!」

投げかけた真剣な問いかけに、答が来たのが、3年後。岐路(タイミング)が来たことがわかった。
 おなかに宿った赤ちゃんが、「風の音しか聞こえない山の中で生まれたい」と言っていた。いてもたってもおられない衝動と共に、大幅に世間の安全ルートから外れていった。直感をたよりに動き始めた。

いろんないきさつで、父に勘当されて、だれにも頼れない状況で、妊娠8か月でカリフォルニアへ。
人里から25キロもダートロードを走る ほんとうに静かな草原に八角形の小屋を借りたの。

「風の音しかしない山」を探し当てた。求めていた場所にたどり着けた安堵感。その草原で 久しぶりの深い安堵を感じた。
 
1週間、町に降りて必要なものを買い集めて また 山にもどってきたときは、改めましてって感じで、あまりにも何もない山の小屋に愕然とした。絨毯の下は土・・床すらない。アリが歩いていた。窓はビニール、破れたら張り替える。(笑い)
トイレがなかったので、その日にトイレを作り、小屋の前まで来ていた湧水を家の中へつないだ。それから薪集め。
 パートナーと一緒に、わたしも薪を担ぎ、薪ストーブで毎日パンを焼いた。
冷たい湧水で洗濯。町で買ってきた生鮮物はいたみやすいものから食べて、乾物を多用する生きる智慧を発動し始めた。

出産までの約2か月、ショッピングや電話することもなく、気がるに友人と会うこともできない生まれて初めて文明から離れた山の日々 自分が時代から取り残されてゆく感じがした。
 一人でやれることって、すごく小さいんだな~と、一日かけて パンを焼いて思ったこと。
 
けれど、広大な森の中を大きなおなかを抱えて歩き、ストーブで焚く薪を拾い、冷たい清水で食器を洗う日々、心が洗われていった。
 テレビもラジオも、人との会話もほとんどない 車の音もしない、ただただ 山のいのちと交歓する日々に、たくさんの過去の未消化な記憶が まるで映画のように蘇り、わたしは それらを消化して やっと「今」にたどり着いた時、わたしは、自分がなにを感じているか わかるようになっていました。

それまで、人の考えや常識と、自分の感じ方を分けて感じ取っていなかったことがわかりました。

わたしが わたしとして感じ始めた時、出産のときは来たのです。

      (続く)

# by nijinouta | 2016-01-14 01:32 | 子育て
2016年 01月 14日

電気も水道もない山暮らし9年  ~カリフォルニアの山の中、出産&子育て~①

1993年から2002年まで 出産&子育てのために 9年間暮らした場所は 標高千メートル カリフォルニア。電気も水道もない、つまり洗濯機も冷蔵庫も、電話もなし。郵便屋さんも来ない。

あの9年があって、今のわたしがあること。ちょっと振り返ってみようと思うの。

ふたりの子どもは 生まれた時 体重も血液型とか計ることも思いつきもしなかった。ただただ 無事に生まれたことの喜びと、一瞬も逃したくない、母子の対面蜜月に集中。時間はたっぷりあるのに、一瞬も逃したくない・・そんな祝福と集中力の中にいた

ふたりの子どもを妊娠したのを知ったのは、薬局で買った妊娠判定薬。妊娠予定日も自分で計算した。医療は関わっていない。

無謀と言われても仕方がないが、出産は、赤ちゃんが世界と出会う日になるので、最大限シンプルに(最も大切に)したかった。
 聖なる空間にするために、ギリギリまで自分と向かい合い 直感と行動を繰り返し、自分の足で、自分の耳と目とこころで、生きた情報をあつめて、最後は家族だけの出産を選んだ。
 
また、パートナーに協力をしてもらうために、ずいぶん心をくだいた。最初は無関心だったパートナーも、産婆役を依頼して、わたしなりに調べた産婆としての心得や必須情報を伝えてゆくと ある時点でワクワクし始めた。二人のフォーカスが合いはじめると流れが整っていった。

家族だけで出産を迎えた知人の経験談がとても印象深かった。一刻いっこくを家族みんなが生き生きと語ってくれた。そして真剣にアドバイスをくれた。家族だけの出産は決して安易にお勧めはできないが、人はいのちがけだと、ものすごい集中力を発揮するんだな。

アドバイスする側も真剣・朝まで話していたよ。彼らと。

人は どういうことで喜びや、いのちの尊さ、奇跡を感じるのだろうか?

思い起こしてみれば この途方もない、行動の始まりは
東京で、バイトに明け暮れて疲れていた28歳のある日、宇宙への質問を投げかけたことから始まっているような気がする。
(続く)



# by nijinouta | 2016-01-14 01:31 | 子育て
2015年 12月 04日

わたしと猫たち

わたしと猫たち

小さい時から 動物たちとこころを通わせて来ていたことを、今思い出している。

アパート暮らしだったので鳥しか飼えなかったけど、スズメもカラスも傷ついたヒナを拾って育てたことがある。

祭りで買ってきたひよこも育てて、野原を一緒に走り回る肩乗りニワトリになった。わたしは 彼らが食べたいものを見つけてあげるのが上手だった 笑い ミミズをね。

彼ら(ニワトリ3羽)と一緒にベランダから飛び降りて、草原で遊んでいたよ。(いつもは、玄関から出てた)ニワトリも、外を走り回りたいと感じていたから、家に帰ったら、いつも一緒に(小屋のある)ベランダから一緒に、外へ飛び出していた。

世間のルールや思惑とは関係ないところで わたしと彼らは、愛を育んでいた。

小動物と一緒に過ごす時間は とても穏やかで幸せだった。ありのままの純粋な心は伝わるから、緊張がない。お互いを想う心だけ。それってとても幸せなことだね。

チャロン スピカ アミ ライカ
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              (チャロン やってきたばかり)
やってきた猫たちと 愛のめぐる暮らしが始まった。
ミュージシャンで ツアーも多く、責任負えないので飼えないと思っていたが、2011年 突如 小さなチャロンがやってきた。

いつも 一緒にいてあげられないので、次男や友人たちに、猫の世話を託して出るようになった。次男は それで育ったな・・・以降 緩やかなコミュニティーを作ることが念頭にあるの。人と動物、畑があり 旅と定住が組み合わさった成長できるコミュニティー。定住する人は安心して定住し、旅をする人は安心して旅をする。

また、死となんども出会っている。

チャロン スピカ アミ はそれぞれに 光の世界に旅立った。
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                (スピカ 最後の挨拶をしているところ)

チャロンはわたしの手の中で
スピカとアミは 山の中へ 自分の足で

事故、病気をリアルに体験した。そのとき、見送る側には、なにかギフト(気づき)が与えられることが分かった。いのちは愛そのものだから、去る時には ちゃんと与えてゆくの。

チャロンが旅立った時は
わたしは猫族すべてを好きになり 仏道を学ぶことを避けていたけれど、避ける理由がないと感じたの。

スピカは難病を忌み嫌う必要がないのだと教えてくれた。
いのちが短くても その短い間に愛が通うと熟成する。痛みも苦しみも乗り越えて魂は熟成する。
スピカの瞳は3歳でもう、慈愛に満ちていて、満月の夜に逝った。

アミはワイルド、風邪でアッというまに逝った。
わたしたちの家の上に虹を呼んで、虹の橋を渡っていった。アミのうたが聞こえてきたよ。その時に。

人間は人間という種だけで固まると 大切なことを忘れる。もっといろんな種と交わり、彼らがどうありたいのか 感じて共に暮らせる環境を作ってゆきたいと思う。
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                  (ライカとアミ 種まきも一緒)

わたしは スピカとアミの 死に方を見て(山の中へ)ああ~わたしも そのようにありたいな~と思ったのでした。生まれる時も死ぬ時も、感覚を全開にして集中できるように。

思い返せば わたしは、二人の息子を産むとき、感覚を全開にして集中できるカリフォルニアの人里離れた山の小屋に移住して産んだの。
あれは、生まれてくる子どもの意思でもあったのだと、思う。



# by nijinouta | 2015-12-04 22:04 | 暮らし
2015年 12月 03日

うたう人生の始まり

うたう人生の始まり・・・満開の桜の木の下で踊った♪

中学校の社会科の先生になることを目指して進学した大学。
親元離れて2年目。真面目に通っていたある日 教室に入るとエネルギーが落ちる自分を自覚した。
 
あ~教職に就くのは、わたしの道ではない。困ったなあ~

いったいなにがわたしの道なのだろう?

わからないまま、大学へ行かず、やることがないので公園で走った。広い公園を木々の肌をたたきながら「おはよう!」と挨拶をしながら走り、木の下で体操をしてから太極拳をしてアパートへ帰る。
 そのころ、大好きな友人の敬愛する先輩が、ロックバンドをやっていた。「有里、女性ボーカルがいるんだって、行ってこいよ。」和風ロックのうたに「おはやし」に女性ボーカルがいるとのこと。好きな人に言われちゃしょうがない・・行ってみたけど、大音量の中でうたうのはムリ。自分の声が分からない。
 でも、彼らのめちゃくちゃぶりになんだか惚れた。エレキバイオリンで参加。自主ライブに始まり、草の根の様々なイベントで演奏した。

大学は、試験だけは受けに行った。親に仕送りしてもらっていたので、次の目標もないのに やめるわけにもいかなかった。

そんな先の見えない不安な日々だったけど、ほんとにやりたいと感じたことだけをやった。
 
公園を走ることと、太極拳、ロックバンドの喧騒のなかで思い切りバイオリンを弾きならすこと。

また、現代文明に疑問を感じていたので、玄米とかコミューンに関心があり、大学の新聞会の一員として、南の島のコミューンに一人で取材に出かけたりして、エコロジカルな生き方をしている人たちと出会い始めた。

そして 春・・・
満開の桜の木の下で
いのちの散る時が一番美しい
その渦に わたしは遭遇したの。
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毎日挨拶していた木々は 桜の木だったんだね。

毎日挨拶してたから、一番 美しい瞬間に呼ばれたんだね。

桜の花びらは なかなか地面に落ちなかった。
息をのむほどの美しい桜吹雪 くるくると舞っている。
この渦の中では 人も舞うのだろうか?

ふと疑問が湧いて、ふっと力を抜いて 手を差し伸べてみた。
手のひらがくるくると舞いだして 体も くるくると回り始めて・・夕闇の中 わたし 踊ったんだよ。

さくらの花びらと一緒に。

目が回ったので ゆっくりと足を踏ん張り 歩き出した時
胸の奥からなにかが押しあがってきた。
メロディーと言葉が同時に

♪花びら流れて

生まれて初めてのうたが
一番から二番まで 唇から零れ落ちるように 出てきたの。
なんだか わからなかった。

なんだろう・これ?って、生まれて初めて体験した胸の奥からメロディーと言葉が押しあがってくる出来事に遭遇したの。

♪花びら流れて

はなびらを数えては風を感じてる
はなよ 花よ いつまでも散り続けてゆけよ
寂しさのせて 散ってゆくんだよ
仲間たちも後から来て追っかけてゆくよ

はなびらを数えては風を感じてる
花よ花よ どこまでも吹かれてゆけよ
この野原で わたしも 踊り続けてゆくうちに
闇に溶けるよ♪

アパートに帰ってカセットテープに録音して
ロックバンドの友人に聞いてもらったの。
そしたら とても喜んでくれた。
「これは、歌だよ。」って。

みんなが気に入ってくれて伴奏をつけてくれて
わたしは うたうようになりました。

以来、うたはずっと、聞こえてくるのです。

わたしの仕事は
自分らしく生きること。

そうすると うたが やってくるのです。
わたしの暮らし わたしの心 出会った自然やいのちの声が
流れ出てゆくのです。

だから、うたは わたしの暮らしであり、心であり、出会う人との深い出会いであり、未来のビジョンであり、今ここすべてなのです。
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【12月の吉本有里コンサート&ワークショップの案内】

http://ainohanam.exblog.jp/22600416/



# by nijinouta | 2015-12-03 16:07 | うた
2012年 09月 22日

ゆめのなる木 うたと物語

ゆめのなる木

わたしが ゆめを伝える木「ゆめのなる木」と出会ったのは
18年前。そして ことの始まりは東京で、20年前のことでした。
 最初の子どもがおなかに授かると、わたしは無性に静かな場所に行きたくなり、おなかの中の赤ちゃんからメッセージをもらいました。「風の音しか聞こえない静かな山で生まれたい。」
 妊娠8ヶ月で日本を出て、電気も水道もない標高1000mのカリフォルニアの山に移住し、小さな小屋で二晩かけて、かわいいあかちゃんを生みました。

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(生まれて1週間目 初めての産湯)

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山の簡素な暮らしは、手洗いの洗濯、薪拾い、親戚も友人もいなくて、電話もなく、郵便屋さんも来ない。すべては山の地主さんのアドバイスと自分たちの直感で営まれました。子どもが生まれて3ヶ月後、暮らしを営むために音楽活動を再開、まずは 簡素なソーラー発電の電力でアルバムを制作しました。レコーディングのときは 地主さんの娘さんがベビーシッターに来てくれました。ところが わたしは日常では練習が全くできず、散々な演奏にパートナーは思い切り不機嫌になりました。
 生まれたばかりのあかちゃんは四六時中抱っこしてないと泣いて、わたしは 片手で抱っこしながら料理や掃除をしていましたが片手でバイオリンを弾くことは無理でした。
 パートナーは赤ちゃんの世話は母親の仕事と思いこんでいたので 赤ちゃんとバイオリンは両立しなかったのです。
 ある日、衝動的な決意が訪れて、ひき受ける気持ちのないパートナーに赤ちゃんを託して、バイオリンのケースを持って、森に入りました。樫の木の森の真ん中の美しいマドローンの木に導かれて、その場所が練習場所になりました。赤ちゃんを生んで以来、初めての練習でした。その日から わたしは 森に通いました。

 森から 小屋に帰ると 遠くからでも赤ちゃんの泣き声が聞こえてきました。パートナーはいらだって待っていました。ずっと、泣き続けていたのでしょう・・・わたしが わたしである時間を持つことが いけないことであるかのような 葛藤の日々が続きました。
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  (雪の日 長男と)


ゆめの中で黄金色に 輝くゆめの木が伝えてくれた
あなたが あなたであることは あなたの家族のためになり 世界のみんなのためになる
あなたがあなたであることで 胸は高鳴り ゆめが咲く 
わたしが わたしであることで みんながつながりゆめが咲く
あるがままを怖がらないで 帰ってゆくよ


ゆめの中に マドローンの木が黄金色に輝いて励ましに来たことは、魔法のような出来事でした。
言葉も持たないはずの美しい木々がちゃんと わたしたちを見守ってくれている。
森は天国のようでした。木々や木漏れ日や風が美しくきらめいて、音楽を奏でていました。わたしが、バイオリンを弾いているときも 木の上では きつつきがドングリを埋める音が響き、小さなリスが目の前で ドングリを食べたり、鹿たちが悠々と歩いたり 小鳥たちの歌声も高らかで 調和に満ちていました。。
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(洗面器の中の長男)


熊も狐も野ウサギも 木々も風も憩うでしょう
鳥も子猫も虫たちも 川も太陽もうたうでしょう
一つのところでうたおうよ 一つのところに帰ろうよ
わたしたちは ゆめ咲く木 あなたのゆめを咲かそうよ
正直にまっすぐ見れば 帰ってゆける


わたしは 森で うたう前に 土の上に座り目を閉じて、心にひっかかっている出来事を 静かに見つめるようになりました。そうすると ありのままの自分を受け入れることができて、願いが浮かび上がり 祈りが生まれ、心は 自由になるのでした。森は わたしの心を透明にしてくれました
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   (次男は 満月の下 水中プールの中で 家族だけで 生まれた)

数年して パートナーが言いました。

『僕にとって一番尊い時間は 君が 楽器を持って森に行ってしまう時間だったよ。子どもたちを自分の責任で引き受けて愛を注ぐことで 自分の心が柔らかく豊かに変化した。ありたいかけがえのない時間だった。』


ゆめの中で黄金色に 輝くゆめの木が伝えてくれた
あなたが あなたであることは あなたの家族のためになり 世界のみんなのためになる
あなたがあなたであることで みんながつながりゆめが咲く
わたしたちは ゆめ咲く木 あなたのゆめを咲かそうよ

あるがままのきれいなあなた 帰ってゆこう


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# by nijinouta | 2012-09-22 18:45